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祖母(90歳)との生活を通して、お年寄りとの生活について考えます
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私が大学2年になるまでは、
両親と祖母は、比較的近くに住んでいました。

と、言っても、車で三十分程はかかる場所でしたが。

父の仕事の都合で、県外へ両親が
引っ越すことになり、その後私が
卒業するまでの数年間、
祖母と両親はお盆と年末年始のみ
顔を合わせるような状態でした。

しかし、そんな祖母ももう
かなりの年齢。

放っておけない、と感じた両親は、
ちょうど両親のマンションから通える
範囲内の会社に就職した私と祖母を
一緒に住まわせることにしました。

両親のマンションは
両親+祖母+私の4人で暮らすには
狭く、祖母(と私)のために、
両親のマンションの近くに新たに
マンションを一室借りました。

まあ、両親も近くだし、
祖母からは料理を教えてもらえる!と
楽しみにしていた私を待ち受けていたのは、
80代後半になってから、行ったこともない
友達もいない新転地で暮らすことに
かなり緊張し、軽いうつ状態になった祖母でした。

今思えば、それも当然です。

90前のばーさんに、最新機器搭載のマンション。

勝手がわからんのに、娘も孫も婿も
日中は一切うちにいない。

平日も母はできるだけ祖母のところに
顔を出すようにしていましたが、
それ以外は一人ぼっち。

田舎から出てきて、いきなり無機質なマンション。

廊下で人と会うこともほとんどなかったようです。

私は朝の通勤時間に、同じ時間帯に出かける人
と会うことがあったのですが、どうも祖母の出歩く
時間はマンションの住人の出歩く時間とかみ合わないらしく
しばらくはひどく孤独を感じていたのではないかと思います。

ありがたいことにマンションの管理人さんが気を使ってくださり、
時々訪ねて来てくださっていたようですが、
人見知りする祖母からすると、それも苦痛だったようで
人が来なければさみしく、来たら来たでぐったり疲れてしまう。

そんな日々が続いていたようです。

実際、そのころの祖母は、家からほとんど出ず、
今聞いても、そのころの記憶は全くないようです。

今振り返れば、引っ越してきたばかりの祖母に対して
配慮が私も両親も全く足りていなかったと思うのですが、
全員仕事があり、また若いため、年老いた祖母の
不安や、思い通りにならないといった様々な葛藤を
理解することができませんでした。

年をとった祖母をそばに置いておけば安心、と甘えていました。

全然安心ではなかったということがわかるのは、もう少し後なのですが、
ずっと祖母が田舎で一人元気に暮らせていたのは、
あの土地になじみ、住んでいた家に慣れていたからです。

食器の位置や、料理場の使い方を、比較的若いころに覚え、
体が覚えている通りに動いていたからしっかりしているように見えた
祖母の動きも、その記憶が通用しない場所では、一人の老人だったのです。

最初の一週間で疲れ切った祖母は、帰りたいと盛んに繰り返し、
かといって返すわけにもいかず。

祖母はもともと田舎でIHクッキングヒーターを使っていたのですが、
ある日突然、

「IHは使いにくい。田舎じゃ電気コンロを使ってたのに、
なんでこんなへんてこなものを入れた!」

と怒りだしました。

今まで一切気付かなかった、祖母のボケを
垣間見た出来事でした。

ぼけさせたのは、間違いなく私と両親でしたが、
その時は、そんな知識もなく、
ついに祖母もボケたか・・・なんて、無責任なことを思っていました。





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プロフィール
HN:
yuzu
性別:
女性
趣味:
読書、ランニング
自己紹介:
母方の祖母と二人暮らしをしています。
他の方から比べるとかなり楽な生活ですが、葛藤は多いです。学ぶことも多いです。

私からアドバイスをすることなどはできませんが、身近にお年寄りがいる方、介護をされている方と、意見の交換などできたらと思っています。
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